「令和の虎」の騒動の裏で、僕が今どうしても語りたい岩井良明という生き方

戯言

YouTube番組「令和の虎」が何かと世間を賑わせている。ネット上ではいろいろな声が飛び交い、番組そのものへの評価も賛否が入り混じっているのが正直なところだろう。

けれど、こういう騒動を目にするたびに僕の頭に浮かぶのは、番組の是非でも、誰が正しくて誰が間違っているかでもない。令和の虎という場を最初につくった、初代主催者・故岩井良明氏のことだ。

数回お会いしただけの、それでも忘れられない人

正直に言うと、僕と岩井さんとの面識は数回ご一緒した程度にすぎない。深い付き合いがあったわけでも、長年の親交があったわけでもない。それでもはっきりと言えることがある。岩井さんは、誰よりも激しく、誰よりも謙虚で、義理人情に厚く、細かな気配りができる人だった。

「ボス」という言葉がこれほど似合う人を、僕は他に知らない。強さと優しさ、厳しさと懐の深さ。相反するはずのものが、岩井さんの中では矛盾なく同居していた。それは付け焼き刃の人格ではなく、生きてきた年月の中で削り出された、本物の器だったのだと思う。

「令和の虎 人生はAll or Nothing」を読み返して

岩井さんの著書『令和の虎 人生はAll or Nothing』を読み返した。そこに描かれていたのは、決して綺麗でも華々しくもない、一人の人間のむき出しの人生だった。

学生時代の挫折。応援団での不断の努力、そしてその中で巻き込まれた不祥事。会社経営での度重なる失敗、それでも歯を食いしばって守り抜いた会社。愛した女性との非情な別れ。

どれ一つとして、成功譚として綺麗にまとめられるようなエピソードではない。むしろ痛みや後悔、悔しさがそのまま滲み出るような記述が続く。それでも読み進めるほどに惹きつけられるのは、そこに一切の飾りがないからだ。

自分を大きく見せようとする言葉も、都合の悪い過去を美化する言葉も、この本にはほとんど見当たらない。転んでは立ち上がり、また転ぶ。その繰り返しの中で、岩井さんという人間の輪郭が浮かび上がってくる。

遥かに年下の人間さえも認める懐の深さ

令和の虎の主宰として、岩井さんは実に多くの人と関わってきた。志願者、出演者、スタッフ、視聴者。その中には自分よりもはるかに年下の若者たちも数多くいた。

普通、これだけの実績と経験を積んだ人間であれば、若者に対して上から目線になっても不思議ではない。しかし岩井さんは違った。年齢や立場に関係なく、相手の志や本気度をまっすぐに見て、認めるべきところは認める。仲間のためであれば、本気で最善を尽くす。それが岩井さんという人だった。本来であれば相手にもされないであろう僕でさえも丁重に接してくれた。

損得勘定だけで動く人間ではなかった。だからこそ、多くの人が岩井さんに惹かれ、慕い、そして今もなおその不在を惜しんでいるのだと思う。

綺麗じゃない人生が、なぜこんなにロックなのか

僕は岩井さんのような人生を歩もうとは思わない。というより、歩めるはずもない。挫折、不祥事、経営の失敗、非情な別れ――そのどれもが、決して望んで手に入れたいものではない。

それでも、そんな岩井さんの人生が、僕には最高にロックで格好良く映る。心の琴線に触れ続けてやまない。それはきっと、綺麗事ではなく、本気で生きた人間だけが放つ説得力のようなものが、あの人生の随所に刻まれているからだと思う。

うまくいったことだけを並べた成功譚には、人の心を本当の意味で動かす力はない。転び、傷つき、それでも立ち上がり続けた人間の記録にこそ、人は心を揺さぶられる。岩井さんの人生は、まさにそういうものだった。

「令和の虎」に残っていてほしいもの

今、令和の虎というコンテンツは大きくなり、テクニックやノウハウ、視聴数を意識した演出、番組運営上の都合など、さまざまな要素が絡み合っている。それ自体は、コンテンツとして成長していく過程で避けられないことなのかもしれない。

それでも僕は思う。あの番組の根っこには、岩井良明という一人の人間が持っていた愛や真の信念、志のようなものが、これからもずっと残っていてほしいと。

面白さや技術だけで人の心は長くは動かない。岩井さんが自らの生き様、自らの失敗と挫折を通して滲ませていたもの――それがあったからこそ、令和の虎は多くの人の心を動かしてきたのだと僕は思っている。

騒動の渦中にあるからこそ、今一度立ち止まって、この番組がどんな志のもとに生まれたのかを思い出してみてもいいのではないか。少なくとも僕は、故岩井良明氏という一人の「ボス」の生き様を、これからも忘れずにいたいと思う。


参考書籍 『令和の虎 人生はAll or Nothing』岩井良明・著

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